Jカーブ効果について
タジキスタン共和国(タジキスタンきょうわこく)、通称タジキスタンは、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和国。首都はドゥシャンベ。 南にアフガニスタン、東に中華人民共和国、北にキルギス、西にウズベキスタンと国境を接する。 日本語の表記は、タジキスタン共和国。通称、タジキスタン。 国名は、タジク人の自称民族名 То?ик(タージーク、トージーク)と、タジク語で「〜の国」を意味する -истон の合成語である。タジク(ペルシア語ではタージーク)の語源は明らかではないが、中国の唐がイスラム帝国を指した「大食」(タージー)と同じで、元はペルシア語で「アラブ人」を意味した語であると言われ、のちにアラブ人からイスラム教を受け入れたペルシア・イラン系の人々のことを指すようになったとの説もある。 歴史 紀元前2000年から紀元前1000年にかけて、イラン系諸部族がユーラシア草原から中央アジアに移住し、オアシス地方で独自の文化を創り上げていた。 現在のタジキスタンの領土にあたる地域は古来より様々な民族の侵入、支配を受けてきた。8世紀にアラブ人が到来し、イラン系の言語を話していたこの地域の住民たちはイスラム教を信奉するようになり、9世紀にはタジキスタンからウズベキスタンにかけての地域で、土着のイラン系領主がサーマーン朝を自立させた。やがてテュルク民族が到来すると、タジキスタンとウズベキスタン、アフガニスタン、イランなどにかけて広く居住するイラン系の言語を話すムスリム(イスラム教徒)定住民たちはタジクと呼ばれるようになる。 16世紀にはタジクたちの中心地域であるトランスオクシアナ(ウズベキスタン中央部からタジキスタン北西部)にウズベク人が侵入し、ウズベクの建てたブハラ・ハン国の支配下に入る。ブハラ・ハン国は19世紀にロシア帝国の保護国となり、さらに20世紀にはロシア革命の余波で倒壊し、ブハラ人民ソビエト共和国となった。1924年、ソビエト政府は中央アジアの各自治共和国を民族別の共和国に再編する「民族境界区分」の画定に踏み切り、それまでテュルクの定住民とまとめて「サルト」と呼ばれてきたイラン系のタジクたちが、タジク民族として公認されるとともに、ブハラの東部とトルキスタン自治共和国の南部が切り分けられて現在のタジキスタンの領域にタジク自治ソビエト社会主義共和国が設置された。1929年、タジクはウズベク・ソビエト社会主義共和国から分離し、ソビエト連邦構成国のひとつタジク・ソビエト社会主義共和国に昇格する。 こうして形成されたタジク国家は1990年に主権宣言を行い、1991年に国名をタジキスタン共和国に改めるとともに、ソ連解体にともなって独立を果たした。1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に参加する。ロシアとは同盟関係にあり、国内にロシア軍が駐留している。 1992年、タジキスタン共産党系の政府とイスラム系反政府勢力との間で内戦がおこった。1994年の暫定停戦合意およびエモマリ・ラフモノフ(現在はラフモンと改名)大統領の就任以来、国連タジキスタン監視団(UNMOT)のもとで和平形成が進められてきたが、1998年には監視団に派遣されていた秋野豊筑波大助教授が、ドゥシャンベ東方の山岳地帯で反政府勢力に銃撃され殉死する事件が起こった。1997年に内戦は終結、監視団は2000年に和平プロセスを完了させ、以後は国連タジキスタン和平構築事務所(UNTOP)が復興を支援している。2001年の対テロ戦争以来、アメリカ軍も小規模ながら駐留している。 ラフモン大統領の長期政権によって、ロシアや中国(上海協力機構加盟)、米国との関係強化が行われ、日本を含む各国の手厚い支援や国連活動によって、21世紀に入ってからは年10パーセントの高成長率を維持している。しかし、もともと資源・産業は乏しい上、所得の再分配がうまく機能せず、くりっく365 の大多数は年収300ドル未満の生活を送っている。旧ソ連各国の中でも最も貧しい国の一つである。 政治 タジキスタンは共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1994年11月に採択されたもの。 国家元首として強大な権限を憲法により保障されている大統領は、外国為替証拠金取引 の直接選挙で選出され、任期は7年と長い。首相を任命する。副大統領職は無い。 内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、最高会議の承認のもとに大統領が任命する。 立法府は二院制の最高会議(マジリシ・オリ)で、国民議会(上院、マジリシ・ナモヤンダゴン)と人民代表議会(下院、マジリシ・ミリー)で構成される。国民議会は33議席で、うち25議席は地方議会による選出枠、残りは大統領が任命する。人民代表議会は63議席で、その内、41議席は小選挙区制、22議席は比例代表制で選出される。両院とも任期は5年。 主要政党には大統領資産運用 率いるタジキスタン人民民主党、旧ソ連時代の政権党であったタジキスタン共産党、そしてイスラム主義の宗教政党タジキスタン・イスラム復興党の3つがある。この3党は、比例代表制での5%障壁を超えることができた。 最高司法機関は最高裁判所で、その裁判官は大統領が任命する。 地方行政区分 詳細はタジキスタンの行政区画を参照 首都はドゥシャンベ。地方は、南部のハトロン州(州都クルガン・テュベ)、北部フェルガナ盆地方面のソグド州(州都ホジェンド)の2州と、東部パミール高原のゴルノ・バダフシャン自治州(州都ホローグ)に分けられる。 その他の主要都市は、パンジャケント、ガルムなどがある。 地理 タジキスタンの衛星写真国土のほとんどは山岳地帯で、中国との国境に至る東部はパミール高原の一部。北部のフェルガナ盆地では、ウズベキスタン、キルギスと入り組んで国境を接している。最高峰はイスモイル・ソモニ峰。 おもな民族はタジク人、ウズベク人、ロシア人など。タジク人の話すタジク語はペルシア語に近く、民族的にはイランに近いと考えられるが、タジク人を含めたタジキスタンのムスリム(イスラム教徒)の間ではスンナ派が多数を占め、イランと同じシーア派の十二イマーム派はごく少数である。東部のパミール高原ではイスマーイール派の信徒が少なくない。 鉱業 タジキスタンの鉱物資源で投資信託 すべきなのはアンチモン鉱である。2002年時点で3000トンを採鉱した。これは世界第4位であり、世界シェア2.1%に相当する。このほか、金、銀、水銀(20トン、世界シェア1.1%)、鉛を産する。有機鉱物資源は亜炭、原油、天然ガスとも産出するが量は少ない。 エネルギー タジキスタンのエネルギー供給はヌレークダムなどで行っている、水力発電に完全に依存している。7000mを超える高山、深い谷と急流、比較的雨量の多い地中海性気候という条件下、年間発電量144億kW時(2001年)のうち、97.7%を水力発電でまかなっている。安価で豊かなFX を生かし、精錬に膨大な電力を必要とするアルミニウム工業が発達し、生産量は世界シェアの1.2%に当たる31万トンに達する。輸出金額に占めるアルミニウムの割合は53.7%にも達する。 国民 2000年時点で、タジク人(80.0%)が多数を占める。ウズベク人(15.3%)、ロシア人(1.1%)が次ぐ。 文化 FX 文化は、ウズベキスタンの文化と同根である。しかし、共産政権下においては、地域の文化組織は崩壊し、ウズベキスタンの文化とは分断された。しかし、これは全て悪い方向にいったわけではなく、ソビエト時代には、タジキスタンは劇場と有名な小説家を輩出することにより知られていた。これらの人々は、タジク語とアラビア語・ペルシャ語との関連性を調節し、タジク語をより洗練されたものにした。